鑑定歴33年のともかです。

・・・と言っても、まだ?47歳です。

引き算すると、14歳から本格的に姓名判断を開始した事になります。

最近の『姓名判断』には流派が存在しますが、当方は「○○流」とは言わずに全くの独自流で占い続けております。その理由を以下に列記していきます。

 

私が姓名判断に目覚めたきっかけは叔母様が鑑定士だった為、子供の頃はじめて家族全員を占っていただいた時、その一人一人について、ほぼ全てが的中していた事に驚愕したからです。

当時はインターネットも無い時代ですし「占い」というと、もっぱら雑誌の星占いコーナーなどでしか占いに接する機会がなかったため、14歳の中学生だった私は、世の中にこんなに的中率が高くて、しかもその結論があいまいでは無い「占い」があったのか!!と、その的中率に驚愕し、その日以来、分家の我が家では彼女を"師匠"とし《父親・姉・私》の3人、家族ぐるみでその的中率に感動し毎朝「家族会議」を開くまでになりました。《注:全くの無信仰一家です。》

「家族会議ってなに?」・・・とお感じでしょう?

この「家族会議」の中身ですが、朝のTVニュースと新聞から、その日報道された事件・事故に遭った加害者と被害者を抜粋し、3人で姓名判断を行いその結果を発表する、と言う会議です。

この家族会議を行っていて、一番衝撃的だった事件は「1985年8月12日の日航ジャンボ機墜落事故」 で520名が亡くなった事故でした。

当時は顔写真付きのフルネームで新聞に死亡者リストが掲載されており、不謹慎と知りつつ掲載されていた乗客ほぼ全員の名前を何日かに分けて皆で判断致しました。

大体の乗客は『突発的な事件事故に見舞われる』画数の方が多かったのは、言うまでもありません。しかし、一番驚いた事は意外にもトータルで良い画数の乗客も存在した。と言う事です。

《良い画数なのに、なぜ??》この事実が私の姓名判断研究に拍車をかけました。

記載したい事が満載で、何からお伝えして良いか分かりかねるプロフィールになってしまいましたが、ともかく此処でプロフィールを占めさせていただき、あとの続きは"日々のブログ"に続けてゆきます。

 

『赤ちゃん姓名判断』の続きはこちら!→『 ともかのブログ』